重い扉を引き開けると、熱気と共に音楽が溢れ出た。
フロアでは、音に合わせ、三基の空中ブランコが行きつ戻りつしている。
そのどれもが、(客席を想定した)正面から見て、被ることなく揺れている様は心地良い。
それらを少し離れた所で見つめる長身の背を目に留め、奏の頬が自然と緩む。
都内ながら緑に囲まれた、蓮見家私設体育館。
団員達が稽古場と呼ぶその施設は、バスケットコート四面分の広さを有する。
大所帯なGaeaチームとFireflyチームが、同時に心置きなく動ける広さを考えて建てられたが、実際両チームが同時に練習を行ったことは、今現在では一度も無い。
室内履きに履き替えながら、また今日はえらく機嫌が悪そうだな、と奏は上がりかけた口角を押し戻した。
黒いジャージに身を包んだ蛍の立ち姿が、一目で彼のご機嫌を物語っていた。
普段の蛍は、右足なり左足なりに体重をかけて立つことが多い。今日の彼は直立不動だ。
真っ直ぐに伸びた姿勢で腕組みをしている。
腹の底が煮えると、気も姿勢もピンと張る彼は、なんて真人間なのだろうと奏は思う。
蛍の周りには、研修生と呼ばれる、レギュラーではない団員が揃ってフロアに座っていた。
奏が近づくと、携帯用音楽プレーヤーを手にしたひとりの研修生が気づき、慌てて腰を浮かせた。
どこか幼さが滲む顔立ちをした、けれど奏と歳の変わらない青年だ。
奏が手を上げて制止すると、研修生は頭を下げ、座り直した。
「止めろ」
曲のサビで蛍が言い、研修生は「はい」と返事をして、プレーヤーを停止させた。
同時にスピーカーから流れていた音楽が止まる。代わりに、マイクを手にした蛍の怒声が響いた。
「おまえら音聞こえてんのか」
張りつめた空気の中、飛び交っていたメンバーはそれぞれ台に立ち、姿勢を正した。
返答が出来ないほど、彼らの息は上がっている。
「瞳、おまえ亮の動きちゃんと見ろ」
はい、と手前から二番目の台に立つ女性が、荒い呼吸の合間に返事をする。
「亮、おまえ一番悪いぞ。一番手が飛び出しズレてどうすんだよ」
亮と呼ばれた手前の台に立つ男が、腕で額の汗を拭う。
「……ズレてたのかな」
小さな独り言が蛍の耳に届き、左側面に顔を向けた。音楽プレーヤーを手にした研修生だった。
目が合い、研修生は意を決して、自分の意見を正直に告げる。
「亮さんたち、音、合ってましたよね」
「合ってたと思うの、おまえ」
「……思いました、けど」
「ああ、そう」
マイクをパイプ椅子に置き、「サビ前で音用意して」と空中ブランコに向かって歩き出す。
研修生は言われたとおり、音楽プレーヤーを弄り、曲をサビ前に戻して一時停止した。
「見てて。機嫌悪くて当たってたわけじゃないってわかるから」
奏が隣に立ち、顔を上げた研修生に、にこりと微笑んだ。
「や、俺は別に、そんな」
「図星か」
笑って、研修生の赤く染まった耳をつんつん、と引っ張る。それからふと、真っ直ぐに目を見つめた。
端整な顔面で一際煌めく瞳に捉えられ、研修生は、なんだなんだ、と胸を打ち鳴らす。
「よく見ておけよ。いずれはおまえが立つ場所だ」
柔らかな質感で、けれど芯のある、凛とした声だった。
入団して間もない研修生の野心を擽るには、じゅうぶん過ぎる団長の言葉。研修生の胸に、小さく火が灯る。
「要、音!」
蛍の声に、要と呼ばれた研修生は前を向いた。慌てて音楽プレーヤーを再生させる。
間もなくサビに入り、蛍がふわりと飛んだ。
幻想的で、どこかスリリングなこの曲は、真夜中に降りしきる雨のように、聴く者の胸を密やかに揺さぶる。
蛍が飛んだ瞬間から、現実は非現実となり、色を変えた。
空を、泳いでいる。
旋律が蛍を操っている。
いや、譜面の音符、その実体化こそが蛍の正体なのではないかとさえ思えた。
しなやかに動く肢体は、強弱や伸びをも、音と連動している。
揺れも、回転も、呼吸でさえ、譜面通りなのではないかと思うほどに。
どれほど聴き込めば、どれほど舞えば、こんなにも旋律が体に馴染むのだろう。
蛍が飛ぶたび、奏の胸が震える。早くこれを、みんなに見せたい。
「亮さんたち、音、合ってなかったんだ……」
ぽつりと落ちた言葉に、奏は瞼を閉じる。
これを周りに求めるんだから、このチームは大変だよな。
「今日は合うまでループしろ、いいな」
「はい」
綺麗に揃った返事を背に、蛍は台から降り、奏を発見するや小走りで駆け寄る。
「奏くん、来てたんだ」
「さっきね」
頷いて、蛍は自分を見つめる研修生を見下ろす。
「どうだった」
「本当に音とリンクしたら、あんな気持ち良いんですね」
余計なこと言ってすみませんでした、と頭を下げる。
「別に余計じゃねえよ。じゃ、頭から音出して、合うまでループ」
「はい」
「で、どうしたの。なんか用事?」
首だけで奏を見る。素っ気ない声と態度に、微かに胸が痛む。
陣中見舞いに訪れた自分に、蛍なら満面の笑みを浮かべるだろうと想像していたのだ。
そうでなかったことに、それだけのことに、まるで裏切られたみたいに痛む心。
そのことに恥じて、体に熱が篭る。
「Safariの構成が見たかったんだろ」
奏は、わかりやすくぶすくれた表情で、B5サイズの紙袋を渡す。
「ああ、DVD?」
撮って来てくれたんだ、と紙袋の中を覗く蛍に、そうだよと頷く。
Fireflyの前にパフォーマンスをするSafariとの繋がりを確認したい、という蛍の要望に応えようと、通し稽古を収めたDVDを渡す為にここへ来た。
というのは名目上で、本当の本当は、顔が見たかっただけ。
「余所のステージまでチェックすんのなんておまえぐらいだよ」
「だっていくらミーティング重ねても、蓋開けたら繋がり悪いことあるじゃん」
Polaris circusのショーは、テーマを掲げて世界観を貫きながらも、個々のステージ展開をする。
だからこそ、ステージの変わり目で急に色が変わってはいけない。
全てのステージが、ひとつの世界として繋がらなくてはならない。
絵本のページを捲るように、滑らかに。
「じゃあチェックよろしく」
「奏くん、用ってこれだけ?」
「そう、だけど」
「わざわざ来なくても家で良かったのに」
ありがと、と背を向け、蛍はあっさり去って行く。
かわいげの無い後姿に唇を尖らせ、奏もまた、邪魔して悪かったな、と稽古場を後にした。
「お早いお戻りでございましたね」
入口前で待機していた滝川が、リムジンのドアを開ける。
「わざわざ来んなってさ。俺、邪魔だったみたい」
いかにもつまらないといった表情で乗り込み、不機嫌に足を組む。
その拗ねた口ぶりに笑みを浮かべつつ、滝川は、失礼します、と断って、丁寧にシートベルトを装着する。
「今度の公演も楽しみでございますね」
そう言って微笑む滝川を振り返り、奏は口角を上げた。
「うん。もう、超楽しみ」
***
「団長が来た瞬間、蛍さん喜ぶと思ったんですけど」
さして他意も無さそうな声に、蛍は、ゆるりと視線を向けた。
音楽プレーヤーを弄る横顔を見下ろし、眉を寄せる。
「そんなもん、おまえら全員蹴り出したいくらい喜んでるに決まってんだろ」
けどなあ、と頭をわしゃわしゃ掻いて、空中ブランコを見上げる。
「奏くんにだけはカッコ悪いとこ見られたくないんだよ」
だから練習なんか見せたくない。
「はあ。でも団長が完成するまで全容知らないとかまずくないですか」
「おまえうるせえな」
fin.
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かっこいいとこだけ見せたい、男心ってやつですね。
音に合う合わないのシーンですが、見てる側からしたらまあ合ってるんですよね。
だけど蛍は寸分違わず合わせてくるので、よくよく比べて知る程度のズレです。
ミスターパーフェクト。私的所属したくないNo,1なチームです。